高井郡

戦国期以来北信4郡を領した上杉景勝が慶長3年1月会津へ移封されたあと,高井郡には北部に飯山城の関一政領,南部に海津城の田丸直昌領,中央部に豊臣秀吉蔵入地が置かれた。同年7月太閤検地が施行され,石高制が確立した。慶長5年2月森忠政が高井郡3万7,053石余・119か村を含む北信4郡一円13万7,500石に入封,同年の東西決戦に上杉・真田氏に備え北信を固めた。同7年森は4郡総検地を施行,大幅な増石を打ち出し,高井郡は5万1,414石余となった(信州川中島四郡検地打立帳)。同8年2月徳川家康の六男松平忠輝が4郡18万石余に入封,当郡北部は付庸大名皆川広照の飯山領に,ほかは忠輝領に属した。忠輝は同15年閏2月越後国主60万石に転じ,この時高井郡の忠輝領を割いて飯山城主堀直寄領,須坂領主堀直重領6,000石,近藤政成領5,000石などが成立,残る忠輝領を松城(松代)城代花井吉成・義雄父子が管轄した。大坂の陣後の元和元年9月忠輝は家康から勘当され,翌2年7月改易,配流となる。これ以降当郡の領主は目まぐるしく交代し,所領が細分化する。郡北部はほぼ飯山藩領に属したが,堀直寄から元和2年佐久間氏,寛永16年松平氏,宝永3年永井氏,正徳元年青山氏と代わるつど所領が増減した。享保2年入封の本多氏領も当初水内・高井両郡にあったが,同9年の替地で高井郡に飯山藩領はなくなった。郡最南部と飛地の沓野・佐野・田中の3か村は松代藩領に属し,元和2年松平忠昌,同4年酒井忠勝を経て,同8年真田氏が入封,高井郡に1万61石余・17か村を領して以後定着する。松代藩領の北には,元和元年堀直重が加増され須坂藩1万53石余・13か村が成立,明治維新まで存続する。郡の中央部一帯は領主の変化が最も激しく,松平忠輝以後,幕府領が成立するとともに,諸大名・旗本領が置かれた。慶長15年~元和5年の近藤政成5,000石のほか,元和2~5年の井上庸名5,000石,元和2~9年の岩城貞隆・吉隆1万石,元和4年~正保・慶安年間の河野氏勝父子1,500石,慶長19年~寛永8年の小笠原忠知5,000石などである。元和5年には配流された福島正則が高井郡2万石・55か村で高井野村に蟄居し,そのため近藤・井上氏は伊那郡へ去る。その福島領が寛永元年廃絶したのをはじめ,各氏が次々に移封するつど幕府領が拡大した。やがて幕府領を割き,寛文元年~元禄14年甲府藩徳川綱重・綱豊領1万1,095石余・25か村,天和元年~元禄13年尾張支藩松平義行領1万74石・14か村,天和2年~元禄15年坂木藩板倉重種・重寛領8,750石余・21か村が相次いで設置され,幕府領は一時ほとんどなくなった。元禄末年にこれらの所領が幕府領に戻り,旧飯山藩領分と合わせ,以後広い幕府領が存続する。これを支配する幕府代官の陣屋は,前期には井上・高井野・小布施・新野・西条など各地に置かれたが,中期以降中野陣屋に固定され,その代官が当郡幕府領を支配した。ただし郡北部の村々は越後国脇野・川浦両代官所,南部の村々は埴科郡坂木・中之条両代官所などに属した時期がある。こうして長く須坂藩領・松代藩領・幕府領で安定したが,寛政4年幕府領を割いて,明治維新に及ぶ越後国椎谷藩飛地領4,731石余・9か村と,文政4年までの石見国浜田藩飛地領が設置された。椎谷藩は六川村に陣屋を置き,浜田藩は水内郡富竹陣屋で支配した。また文政4年以降幕府領の一部が松代藩預り所となった。郡の石高と村数は,「正保書上」で6万5,527石余・148か村,「元禄郷帳」で6万5,818石余・158か村,「天保郷帳」で8万4,096石余・151か村。「旧高旧領」では8万6,739石余・152か村で,所領別内訳は旧幕府領中野支配所4万9,116石余・同松代藩預り所5,269石余・松代藩1万3,178石余・椎谷藩3,473石余・須坂藩1万3,978石余。交通路には,郡南部に埴科郡矢代宿から分岐北上する北国街道松代(川東)通りがあり,川田宿・福島宿が置かれ,布野の渡しで千曲川を越えて水内郡長沼宿へ通じた。その福島宿から仁礼宿を経て上野国大笹宿や中山道沓掛宿へ通じる大笹街道は,北国街道の宿駅と争論の末,慶安3年幕府裁許で公認された。北国街道から分岐し,須坂・小布施【おぶせ】・中野を結び飯山へ通じる谷街道も重要であった。郡内の広域を捲き込んだ百姓一揆には,慶長7年の森検地反対土豪一揆,安永6年の中野騒動,明治3年11月の松代騒動,同年12月の須坂騒動と中野騒動があった。慶応4年(明治元年)2月幕府領は天朝御料となり尾州取締所が管轄,同年8月これが伊那県となる。明治3年9月伊那県から分県した中野県に移り,中野騒動で県庁が焼亡したため同4年6月県庁が長野に移って長野県となった。同年7月の廃藩置県で当郡は長野県・松代県・須坂県・椎谷県に分属したが,同年11月長野県に統合された。同9年この長野県と筑摩県とが統合して現在の長野県に属し,明治12年郡区町村編制法により上高井郡と下高井郡に分かれた。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7340086 |