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竹佐村(近世)


 江戸期~明治8年の村名。伊那郡のうち。はじめ飯田藩領,慶長18年幕府領,元和3年飯田藩領,寛文12年幕府領千村氏預地,天和元年からは美濃高須藩領。藩主松平氏は村内田府高屋に陣屋を置き,郡代を配して伊那郡内1万5,000石を支配した。村高は,「天正高帳」600石余,「正保知行付」も同高,「元禄郷帳」1,071石余,「天保郷帳」1,072石余,「旧高旧領」も同高。村内中央を三河道が通り,竹佐陣屋付近は役所への出入も多く,商店もあり,にぎわっていた。安永3年の戸数99,人口553うち男295・女258,安政4年の戸数125,人口571うち男303・女268(山本村誌)。安政4年小前71名が庄屋・組頭を相手取り竹佐騒動が発生,慶応3年に江戸表で裁決された(同前)。白山に伊那神社がある。元禄2年の寺社調帳に八幡宮とあり,同8年社殿建立遷宮の記録がある。元亀元年創立の臨済宗慈雲山観音寺が白山にある(同前)。明治4年名古屋県を経て筑摩県に所属。同5年竹佐陣屋跡に並穂学校を創立,山本・久米も含めた合同校とした(同前)。同6年の戸数149・人口653(県市町村合併誌)。同8年米川村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7340170