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青野村(近世)


 江戸期~明治30年の村名。美濃国不破【ふわ】郡のうち。はじめ西尾丹後守忠永,元和4年から稲葉氏の知行,貞享元年から幕府領,明和7年からは大垣藩預所。村高は「慶長郷牒」「元和領知改帳」「正保郷帳」ともに535石,「天保郷帳」に868石余で,幕末まで変わらない。村内を中山道が東西に通じ,助郷は中山道垂井【たるい】宿に出役。国分寺は天平13年,聖武天皇の勅願により創建されたが,仁和3年焼失。その後久しく廃寺同様になっていたが,元和元年再興。真言宗古義派に属し金銀山美濃国分寺と称した。同寺の寺宝に本尊薬師如来座像・泥塔百万塔などがある。真宗大谷派教覚寺は青野領主稲葉家の位牌を安置。臨済宗千手寺は寛永7年愚堂国師の創建と伝える。ほかに真言宗解脱寺があったがのち廃寺となる。明治4年岐阜県に所属。同14年の反別134町,溜池6か所,土橋1か所,民林15町9反,戸数120(神社8・寺院1)・人口485,人力車5両・荷積車5両を使用。小学校区は青野学校。物産は米・麦・豆・粟・黍・蕎麦・菜種など。名産は米・干柿・瓦・松茸(町村略誌)。同24年の濃尾地震による被害は全壊7戸・半壊21戸(震災誌附1)。同30年青墓【あおはか】村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7342277