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北野村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。美濃国山県郡のうち。「元和領知改帳」「正保郷帳」によると村高1,467石余,うち幕府領1,306石余・旗本今ケ淵三淵氏知行地80石余・旗本今ケ淵奥山氏知行地80石余の3給地。「旧高旧領」の村高1,486石余,同帳によると前記3給地のほかに大智寺領18石余が加わり4給地となっている。文化7年の村明細帳によると幕府領の戸数166・人口742,馬36,医者1軒,山林30町歩がある。明治2年の村明細帳の戸数201・人口929,馬25。同4年岐阜県に所属。「町村略誌」によれば戸数209・人口1,074,神社9・寺3,馬70,人力車2両・荷積車33両,物産は穀類のほか菜種・松茸・五茸・西瓜・薪などがある。村社は字東沖に津島神社があり,棟札に「造立寛文七丁未三月二十三日村中氏子中」とある。字西沖にある北野神社の棟札は「明和八年六月葺替北野村氏子中」とある。他に字長老ケ洞に白山神社,東沖に白鬚神社がある。寺院は曹洞宗徳巌寺末悟空庵,真宗西本願寺派青岳山丸山寺,臨済宗妙心寺派の古刹雲黄山大智寺があり,大智寺は明応9年5月に北野城主鷲見美作守保重が禅法に帰依して創建した。当寺門前に各務支考の住家である獅子庵がある。支考は寛文5年に村瀬兵四郎の次男として生まれ,蕉門十哲の1人として数々の俳諧を詠み,美濃派俳諧の始祖となる。海洋・水産学に大きな足跡を残した北原多作も各務家に生まれた。明治22年山県村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7343940