深萱村(近世)

江戸期~明治30年の村名。加茂郡のうち。はじめ西尾忠永領,のち旗本稲葉氏知行地となる。貞享元年,若年寄であった稲葉正休は江戸城内で大老堀田正俊を刺殺。そのため領地は収公され,当村は幕府領と旗本深萱金田氏知行地に分割。村高は「慶長郷牒」448石余,「正保郷帳」では田311石余・畑136石余・山年貢1石余。「天保郷帳」573石余。助郷は中山道鵜沼【うぬま】宿へ出役(加茂郡誌)。社寺は八幡神社・十二社神社・凉樹院がある。明治4年岐阜県に所属。同24年の濃尾地震では人口392のうち負傷者12,戸数74のうち全壊69・半壊5(震災誌附1)。明治30年坂祝【さかほぎ】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7346389 |