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緒川藩(近世)


慶長6~11年の藩名小川藩・小河藩とも書く譜代藩慶長6年徳川家康の生母於大方(伝通院)の甥である水野分長が,尾張国知多郡のうち緒川(知多郡東浦町)そのほかに9,820石余を給されて立藩同11年まで5年間存在した緒川は戦国初期から水野氏が城を構え,尾張・三河にまたがるその勢力の本拠地であった天文年間水野忠政の時,三河刈谷に主城を移し,その子信元の代には刈屋・緒川を中心におよそ24万石を支配した天正3年信元は織田信長の勘気に触れて殺害され,その所領は信元を讒訴した佐久間信盛に与えられた同8年佐久間父子追放後は信元の弟忠守が緒川城主となったが,のち退去したこの故地に,慶長6年4月信元・忠守と於大の弟忠分の子分長が,関ケ原の戦の行賞により封ぜられ,緒川高藪に居城した分長の事蹟として水野氏菩提寺乾坤院への寄進や,於大方ゆかりの善導寺移築などがあるが,同11年6月には三河新城1万石に転じ,当藩は廃藩となる知多郡は清須城主松平忠吉に加給され,緒川は忠吉領となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7355518