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西端村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。はじめ幡豆郡,慶長10年矢作川の本流が変ってからは碧海郡のうちに編入された。はじめ旗本本多氏知行,のち次第に加増されて元治元年からは大名に列せられ西端藩領となる。当村に陣屋があった。村高は,「寛永高附」827石余,「元禄郷帳」825石,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,438石余。文政12年の家数452・人口2,311。高棚村と境界争いを起こし,元禄11年幕府の裁定によって落着したが,最終解決は明治9年一部の田地交換によった。神社に若宮八幡社・神明社・熊野社・飯成社があり,寺院には浄土真宗栄願寺・応仁寺がある。応仁寺で毎年3月19日から行われる蓮如忌は近郷近在の人でにぎわう。明治9年の戸数449,このうち農業以外の職業は多種多様で,鍋・釜・土瓶・徳利などを作る剛珍焼,植木鉢を作る黒楽焼などがみられる。明治22年市制町村制施行による西端村となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7359885