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星野荘(中世)


室町期に見える荘園名三河国宝飯【ほい】郡のうち「親長卿記補遺」文正元年5月21日条に「参河国星野庄」が見え,大嘗会天羽衣織所役を星野四郎宗範が普代の役として勤めて来たことがわかる(大成)星野宗範は当時本領である星野荘の知行権を何らかの理由によりとりあげられており,天羽衣役が勤められない状態で,公家も困惑していた同書同年10月16日条によると,星野荘は一旦幕府御料所とされたのち,政所執事伊勢貞親に与えられていたのである本領返付の上で所役を勤めたいという星野の訴訟により,公家から武家へ交渉が行われたが実現せず,結局同年11月13日星野の責任で他人に調進させることになったこの星野氏は「太平記」巻24に「星野行明」が見え,熱田大宮司の流れをくむ大江姓毛利氏で,幕府奉公衆の家柄の名族である年月日未詳の北野社領目録写に「参河国星野高井彦四郎跡」とあり,一時北野社領になっていた(北野神社古文書/岐阜県史史料編古代中世4)寛正6年12月日の北野社領御師松梅院不知行分御判注文に「一,三河国星野庄 鹿苑院殿様御判一通」と見え,当荘は北野社の御師松梅院の知行分で足利義満の御判御教書を得ていたが,この時点ではすでに不知行地となっていた(北野神社引付)文明元年5月日の松梅院不知行所注文にも「参河国星野」と見える(同前)長享番帳に五番奉公衆星野宮内少輔が見えるので,その後星野氏に返されたらしい「三河国二葉松」に行明村古城の星野日向守先祖代々居住を伝える江戸期の行明村・柑子村・正岡村あたりに相当




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7361042