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山崎(中世)


 戦国期に見える地名。三河国碧海郡のうち。天文18年4月7日付本證寺門徒連判状に「山さき」として石河甚助正家・石河与四郎家次・伊奈橘三良安次の3人の名があがっている(本證寺文書/岡崎市史6)。また,同23年2月9日付松平好景・同連忠連署下地寄進状に「弐反五俵壱斗山崎」とある(本光寺文書/同前)。なお,この頃織田・今川のはざまにあって,松平一族は大きく揺れ動いた。三ツ木松平の信孝は,最初宗家松平広忠についたが,のちに広忠と対立して織田方につき,安祥城を守る出城として山崎城を築いた。同城は安祥城とともに落城し,以後再建されなかったと推定される。寛正~文明年間頃真宗大谷派の道場ができ,やがて正法寺の名で呼ばれ,戦国後期には同寺は三河八か寺の1つに数えられるまでに発展した。永禄6~7年の三河一向一揆敗北後は,同寺は破壊されたが,天正11年の還住許可後に東本郷(現岡崎市)に移された。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7362018