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保坂(中世)


 戦国期に見える地名。法坂とも書く。高島郡のうち。琵琶【びわ】湖畔の今津と若狭国小浜【おばま】とを結ぶ九里半街道と,高島郡を南北に走り,朽木【くつき】谷を経て京都へと通ずる敦賀【つるが】街道が交差する地で若狭国境とも近い街道上の要地。当地には保坂関が置かれ,山門の管領下にあったが,その関務は朽木氏に預け置かれていた。しかし当関は複雑な権利関係のもとにあったようで,明応3年11月には「知行関并小林新左衛門入道分」を除く保坂関内六角高頼跡一所が幕府料所となり,細川政誠に預けられている。また大永年間には小林国家と桂田孫次郎が「保坂関務一方公文分」を争い,幕府は桂田の関務押妨を停めている(朽木文書)。一方,享禄2年6月のものと推定される「南北五ケ商人申上状案」によると,大(内)裏御料所等の名目をもって,朽木氏・能州(能登)氏・横山氏・越中氏等この地域の在地領主がしばしば保坂に関所を設置している。これに対し,九里半街道で商業活動を行っていた五箇商人たちは,樽物や礼銭をもってこれらの関所を撤廃させ,通行の自由を得ていた(今堀日吉神社文書)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7372491