小久保村(近世)

江戸期~明治22年の村名。播磨国明石郡のうち。明石藩の新田開発によって成立。明石藩領。藩主松平信之の延宝7年から開拓が始まり,藩主本多政利の時,天和2年に村になったという(林崎村郷土誌)。大窪村の人たちが移り住んだといい,大窪の光触寺の檀徒が多い。村高は,「天保郷帳」20石余,「旧高旧領」24石余。元禄年間の「采邑私記」では林崎庄のうち野々上組に属し,高15石余,加役なしとある。享保年間の「金波斜陽」では,高17石余,村の規模は東西150間・南北35間,御立山に小社,大きな中谷松林があった。鎮守は三社神社で,林崎庄北西の松林に祠があり,ある時,旱魃が続き,穀物がとれなかった。村人がこの祠に祈ると雨が降ったので,寛文2年に同社を建てた(小久保村祠記)。寺院は栽松庵で,古くは空清庵といい,境内に2本の老松があった(林崎村郷土誌)。明治12年の田1町余・畑10町余・宅地1町余,同14年の戸数47・人口220(播磨国地種便覧)。同22年林崎村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7390983 |





