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御影(中世)


 鎌倉期から見える地名。兎原郡のうち。「源平盛衰記」巻17実定上洛事には「千代に替らぬ翠は,雀の松原,みかげの松,雲井にさらす布引は,我朝第二の滝とかや」などとあり,雀の松原とともに福原遷都後の公卿らにも松の緑を称えられた。南北朝期の観応2年2月,不和となった足利尊氏・直義の兄弟は当地で衝突,両軍は「打出浜ノ東ヨリ御景浜ノ松原マテ,十六度迄返シテ」合戦したと伝えられる(太平記巻29/古典大系)。戦国期には天文18年6月に細川晴元軍を破った三好長慶が,晴元方の伊丹親興の立てこもる伊丹【いたみ】城を攻略するため「御影塚」に三好方衆を配備したという(細川両家記/群書20)。次いで,天正6年11月には荒木村重のよる伊丹本城・尼崎城の攻撃のため,織田信長の派遣した滝川一益らは「西宮・いはら住吉・あしやの里・雀松原・ミかけの宿・滝山辺所々」を放火して生田森に陣取っている(原本信長記/西宮市史4)。同16年9月,毛利輝元は上洛の帰途尼崎から乗船,西宮をはじめ「生田の森,箙ノ梅,布引の滝,見景の宿,雀の松原,湊川」などの夜景を楽しんで兵庫に着岸した(輝元公御上洛日記)。御影村の称は,同19年12月1日付若林久大夫分山手指出(天城文書)に「弐百文 ミかけ村」と見えるのが初見。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7396406