和田(中世)

戦国期に見える地名。丹波国氷上郡のうち。天正7年と推定される8月24日の愛宕山威徳院法印御坊宛明智光秀書状に「近日者久下令居陣候,一両日中和田面可令発向候」と見え,丹波平定をめざす明智光秀は,一両日中に久下から当地へ進陣することを報じている(源喜堂古文書目録1)。なお当地は谷頼衡が応仁年間以後に地頭として来住し,ついで永正元年信濃国和田より頼衡の従弟和田斉頼が来て,その婿となり,同14年岩尾城を築き,市場村を和田町と改め,石蓮寺を建てた。このとき領村は19か村といい,これを和田荘と称したという(和田庄内和田邑之来由/鶴牧藩日記附録)。文禄3年3月吉辰の大年神社棟札に「丹州氷上郡和田庄大内村」と見える(氷上郡志)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7397646 |