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日吉庄村(近世)


 江戸期~明治10年の村名。備中国窪屋郡のうち。村名の由来は,近江国坂本の日吉神社の荘園となり,氏神として日吉神社を勧請したことによるという。宇喜多氏の支配を経て,慶長5年幕府領,元和3年摂津溝咋藩領となるが,正保3年藩主長谷川氏が減知処分にあい,以降旗本長谷川氏領となる。天正13年宇喜多秀家の家老岡豊前が開発した新田地域の一部を編入,江戸初期にも干拓新田の編入が続いた。江戸初期の新田で他村へ編入されたもののうち,旗本長谷川氏領となった分は,郷帳類によっては当村の高に合算されている。寛永古図で村高556石余,「備中至宝記」「備中村鑑」ともに同高。「天保郷帳」では375石余で,ほかに日吉庄村のうちとして八王寺村154石余・大内村27石が見える。また「旧高旧領」は長谷川氏領分の八王寺村と大内村を別記し,村高376石余。倉敷県,深津県,小田県を経て,明治8年岡山県に所属。同10年富久村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7418921