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五ケ村(中世)


戦国期に見える村名安芸国佐東郡のうち天文23年8月16日の毛利元就宛行状写によれば,「五ケ内田七段半分米一石八斗,同畠一町分銭一貫七百五十文,合三貫五百五十文目」が飯田弥五郎に宛行われている(閥閲録170)次いで,同24年2月23日の山県就相宛毛利氏奉行人連署書状に「五ケ村寺家内休堤・廿一人堤,太広瀬之内十人堤之事,於被築留者諸役なしに末代可有知行候」とある(同前133)中世末期に太田川河口はデルタ地帯に島が点在し,五ケ村とはここに5つの寒村があったことによると思われ,これらの中州は堤防築造などにより耕地化されていった五ケ村のうち,寺家・大広瀬が知られるほか,天正11年閏正月15日の毛利輝元書状写に「五ケ之内那見村」が見える(同前47)江戸期に当地は広島城下となり,名称は消滅した現在の中区付近に比定される




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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