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以南(近世)


 江戸期の地域名。幡多郡のうち。元和3年の史料に「御国中浦辺之者之外かしけ申候,殊に以南田畠無御座候所ハ」と見え(藩志内篇),土佐清水市および大月町の一部が以南の総称で呼ばれた。寛文7年の郷村石付では以南のうちとして有永・布立石・下ノ茅・貝掛・大岐・以布利・窪津・津呂・伊佐・松尾・大浜・中ノ浜・浦尻・清水・越浦・加久見・奥猿野【おくましの】・口猿野・斧積・三崎・爪白・川口・片賀須・宗呂・貝ノ川・粟津(大津)・才津野・西泊・姫ノ井・清王・狐塚・樫浦・周防方・頭集・小間目・赤泊・平山の37か村があげられ,「南路志」ではこのほか新田養老村・奥猿野村枝郷横道村・同大内村・才津野村枝郷小才津(小才角村)が記されるが,地域規定は明確ではない。土佐国国産往来に「伊南の鰹節」が見える(皆山集)。なお,明治期以降も以南の呼称は残り,郡や県の土木関係の記録などにも用いられた。渭南の名称は,明治30年土陽新聞幡多支局長野中楠吉が「渭南通信」を掲載したことに始まり,同34年以南教務研究会が渭南教育会と改称したり,同年清松・上灘両村組合立南陽高等小学校が渭南高等小学校と改称されるなどしたが,同校は昭和22年廃止となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7434284