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西職人町(近世~近代)


江戸期~昭和39年の町名江戸期は福岡城下の1町福岡城の北東に位置し,南は呉服町,東は東職人町,西は浜町に続く城下建設の時,諸職人を居住させたので町名となった元禄3年の家数72(続風土記)文化3年の家数75・人数284,間数244間余(文化9年福岡・博多地図)研師の渋谷・吉井,柄巻師の川辺・菱屋,鎗師の鈴木,縫掛師の縫掛屋,鞘師の宮師(いずれも播磨国出身),別伝(大坂出身),塗師の椀屋(京都出身)などが宅地を拝領していた享保元年,塗師屋藤兵衛・鑓屋作兵衛の両人が福岡・博多両市中ならびに嘉麻・穂波・鞍手・遠賀【おんが】・宗像【むなかた】5郡の鶏卵問屋を許された(福岡藩郡役所記録)文政2年町の7割方が火災で焼失天保年間,金刀比羅神社を勧請町は東西2町14間余,南北1町12間余明治11年福岡区に所属同12年の戸数106・人口526(男254・女272),民業は工16戸・商16戸・雑業43戸,物産には傘があった(福岡区地誌)同22年福岡市に所属昭和39年舞鶴1~3丁目となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7442264