100辞書・辞典一括検索

JLogos

28

父賀志浦(中世)


鎌倉期~南北朝期に見える地名肥前国彼杵【そのぎ】郡のうち嘉暦4年7月3日の肥前国彼杵荘文書目録に「彼杵庄浦々実検帳并年々結解以下目録事……一巻父賀志浦名寄帳」と見える(正慶乱離志裏文書/県史古代中世編)同文書によれば,鎌倉末期彼杵荘の浦々において検注および年貢結解が行われ,父賀志浦では名寄帳が作成されたことが知られる彼杵荘は東西彼杵郡にわたって海岸沿いに開けた荘園であり,同裏文書および元応2年□月27日の「東福寺文書」肥前国彼杵荘文書目録案によれば,荘内が多くの一分領主によって分割知行されていたことがうかがわれるが,かかる九州の在地領主層は,鎌倉末期には荘園領主に対する年貢未進を頻発させており,そのような事態をうけて,鎌倉最末期彼杵荘においても惣検注が遂行され,「正慶乱離志裏文書」に見える目録の作成に至ったものであろうなおもと東彼杵郡宮村の宮村神社(宇都宮)にあったとされる医王寺鐘の鐘銘に,永和2年8月吉日付で「西海路肥前州彼杵庄内 父賀志村 宇都宮」との記載があることが知られている(日本古鐘銘集成)宮村は,宮村の姓を名乗る武士が鎌倉末期より見えるが,さらに古くは父賀志といわれたと考えられる従って,現在の佐世保市南風崎【はえのさき】町・城間町・瀬道町・萩坂町・奥山町・長畑町・宮津町一帯に比定される




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7449238