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城はなぜ現在のような形になったのか


城はなぜ現在のような形になったのか

◎城の移り変わり

 城は、敵の攻撃から身を守るための軍事施設である。城という文字が「土」と「成」で構成されていることからもわかるように、土を掘って濠をめぐらし、残土を盛り固めて土塁[どるい]を築いた内側を、ふつう城と規定する。

 城というと、私たちはどうしても広大な石垣の縄張りをもち、壮麗な天守閣がそびえ立つ威容を思い浮かべてしまうが、それは戦国・江戸時代の城である。城郭の起源は、戦争がはじまった弥生時代にまでさかのぼる。といっても、もちろん城が軍事的拠点としてもっとも多く築かれ、最高に機能したのは戦国時代である。

 戦国大名は、平地に置かれた政庁で領国の経営を行ない、敵が来襲すると山城にこもって戦った。時代が下るにつれ、その構造も複雑になる。山全体にいくつもの削平地[さくへいち](郭[くるわ])や堀割をもうけて大要塞とし、周辺に出城や支城を築いて、防御ネットワークを築いていった。街道や宿場にも砦やのろし場といった簡素な城をつくって監視体制を強化した。

◎鉄砲が天守閣をつくらせた

 しかし、戦国時代後期になると、鉄砲の出現によって峻険な場所に要塞を築く意味が薄れ、大名の政庁そのものを城郭化するようになってくる。これがいわゆる平城である。そして城は、軍事拠点としてだけでなく政治や経済の中心地となり、周辺には城下町が形成される。

 ちなみに近世の城の象徴たる天守閣は、織田信長の築いた安土城が手本となっている。本能寺の変のおりに城は焼失しているが、記録によると25メートルの石垣の上に5層の天守閣がそびえていたといい、地上60メートルにも及ぶ高層建築だった。当時の人はさぞ度肝を抜かれたことだろう。




日本実業出版社
「早わかり日本史」
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