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奥津島(古代)


奈良中期に見える島名能登国鳳至【ふげし】郡のうち天平感宝元年5月14日に越中守大伴家持が詠んだ「京の家に贈らむ為に真珠を願ふ歌一首」のなかの,「珠洲の海人の沖つ御神にい渡りて,潜き採るといふ鰒珠【あわびだま】」に始まる長歌と,「沖つ島い行き渡りて潜くちふ鰒珠もが包みて遣らむ」「吾妹子【わぎもこ】が心慰【こころなぐさ】に遣らむため沖つ島なる白玉もがも」の2首の短歌に見える(万葉集)「珠洲の海人」は,現実には「鳳至の海人」であり,鳳至郡に属する「沖つ御神」は,「延喜式」に見える能登国鳳至郡の奥津比咩神社に相当する次いで,「今昔物語集」巻26の「加賀国ノ蛇ト蜈ト諍ヒシ島ニ行キシ人,蛇ヲ助ケテ島ニ住メル語」に,加賀国の住人が,猫ノ嶋に漂着して,島の主のヘビを助け,来襲したムカデを退治し,島に留住するようになったという説話があり,「近来モ遙ニ来ル唐人ハ先,其嶋ニ寄テゾ,食物ヲ儲ケ,鮑・魚ナド取テ,ヤガテ其嶋ヨリ敦賀ニハ出ナル」と記すまた「今昔物語集」巻31の「能登国ノ鬼ノ寝屋島語」には,沖の鬼ノ寝屋島(現七ツ島)に渡って鮑を採るのを主業としていた光ノ浦(現輪島市光浦)の海人集団が,能登守藤原通宗の苛酷な収奪にあって,越後国に逃亡したという説話が見え,鬼ノ寝屋島の沖に猫ノ嶋があって,そこに至る距離は「高麗ニ渡ル許カリ程ノ遠サハ有ニヤ有ラム」と記している「万葉集」も「今昔物語集」も,鮑採りを主業とする海人集団の生活の舞台と説き,ことに「今昔物語集」は,日本海の対岸諸地域との交流に深いかかわりを持っていたことを強調しているこの「万葉集」にいう「沖つ島(奥津島)」と,「今昔物語集」にいう「猫ノ嶋」は,同一の島であり,現在の輪島市の中心市街から北方約50kmの日本海の沖合に位置する舳倉島【へぐらじま】のことである(能登志徴・郷土辞彙)なお,舳倉の島名は,能登半島本土の外浦【そとうら】沿岸に位置した辺津比咩神社と,おそらくはその北方の舳倉島との中間にある七ツ島に神の座を求めていた仲津比咩神社,それに最も沖にある舳倉島(奥津島・沖つ島・猫ノ嶋)の奥津比咩神社の3神の総称であった重蔵【へくら】三神の,重蔵が舳倉に転化したものただし,古代日本語の音韻からいえば,「重」は「舳」に通じないので,転化の時期は中世後半に下降する(古代地域史の研究)

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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7323807