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荒尾手永(近世)


江戸期の熊本藩の手永名玉名郡のうち寛永12年の地撫帳(県立図書館蔵文書)に「荒尾弥左衛門手永」と見え,はじめは地名を名字とする惣庄屋名で呼ばれていた当初は荒尾・長洲(長須)・蔵満の3か村を含む地域であったが,寛永16年には折地・宮崎・高浜・梅田・宮内出目の5か村が加わり,また承応3年までには府本村・大島村など府本手永を合わせ,慶安2年までには大野市兵衛手永の原賀(腹赤)村を加えた(真源院様御代侍免撫帳/県立図書館蔵文書)「肥後国誌」によると,前記諸村のほかに上沖須・下沖須・清源寺・平原・赤崎・向野・金山・樺(椛)・平山(上平山)・平山(本平山)・平山(下平山)・井手・上井手・中井手・下井手・河登・野原・菰屋(薦屋)・宮崎出目・永方・塩屋・小野・水島・牛水・一部・増永(増長)・荒尾(上荒尾)・荒尾(下荒尾)・宮内・万田・原万田の31か村が記され,計41か村また江戸後期の諸郡村附帳(圭室家文書)では,平山村が本・上・下の3か村に,荒尾村は上・下の2か村に,永方村は本・東・中・西の4か村に,高浜村は本・東・西の3か村に,さらに椛村も上・中・下の3か村にそれぞれ分かれ,宮崎出目村は宮崎村の小村となり,下沖須村は坂下手永に属し,都合46か村となっている総高は「肥後国誌」で2万1,891石余会所は長須村に置かれた惣庄屋は,宝暦6年まで荒尾弥左衛門・市右衛門・順右衛門を名乗る古沢氏が6代世襲したが,以後は一代限りの任免となり,免役による短期間の交替が多い(肥後読史総覧)明治3年廃止現在の荒尾市・長洲町のほぼ全域にわたる地域

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7449876