山田原村(近世)

江戸期~明治10年の村名。淡路国津名郡のうち。天正14年の淡路国脇坂中務知行目録(脇坂文書)に見える「あいか」の一部。慶長15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領。村高は,「郷帳下書」132石余,「天保郷帳」204石余,「旧高旧領」307石余。「味地草」では,もと上畑村と一村であったといい,高298石余,家数46,日蓮宗真浄寺・古塁(菅館),鬼子母神の森などが記される。同書に載せる寛永6年の改宗証文によれば,年貢米に窮した当村では釜口村妙勝寺を介してその本寺尼崎本興寺から銀160匁を借用し,当村全員が日蓮宗に改宗している。かつて真浄寺は上畑村高倉山弁財天の別当で真言宗であったという(淡路草)。明治10年豊秋村の一部となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7397287 |