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熊野古道
【くまのこどう】


信仰の道が世界遺産に

人々の生きる糧であり、心の支えでもあった神仏の信仰。全国には信仰のために人々が歩いた道もあった。その一つに熊野古道(熊野街道)がある。
熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を詣でるための道だといってもよかった。熊野三山は天皇、貴族から武士、庶民にいたるまで、あらゆる階層の人々から信仰を集めた。皇室で最初に参詣したのは、九〇七(延喜七)年の宇多法皇だったといわれる。後白河法皇にいたっては三〇回以上も熊野三山に詣でたという記録もある。源氏、平氏にも信仰され、一遍上人や文覚上人も参詣している。
室町時代に入ると、皇室や貴族ばかりではなく、武士や庶民たちの間でも熊野詣が盛んになり、「蟻の熊野詣」とまでいわれた。それほどにまで凄まじいばかりの参詣者の大群であったという。
その信仰の道となった熊野古道は、京から難波に入り、紀伊半島の沿岸沿いを南下。田辺で海伝いに熊野三山に向かう大辺路(おおへじ)と、田辺から山を越えて熊野三山へ向かう中辺路(なかへじ)の二つの道に分かれた。中辺路には、九十九王子という熊野権現の御子神を祀った末社があり、参詣社はここで休憩しながら熊野三山まで歩いたのである。
熊野古道に通じる高野街道も、弘法大師が開いた高野山へ参詣する人たちが往来した信仰の道だ。この高野山を含めて、熊野古道は二〇〇三年に世界遺産への登録が見込まれている。
お伊勢参りの人々で賑わった伊勢街道、善光寺参りや成田詣への道もあった。四国霊場八十八か所や西国三十三か所観音霊場を遍路たちがたどった道も信仰の道といえる。このように、心のよりどころを求めて、多くの人々が歩いた信仰の道も全国各地にあった。




日本実業出版社
「道と路がわかる事典」
JLogosID : 5060047