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屋敷分村(近世)


江戸期~明治13年の村名多摩郡府中領のうち幕府領立川段丘上,甲州街道沿いの村地名の由来は,かつてこの地に六所宮(大国魂神社)の社司の屋敷があったことにちなむといわれる(武蔵名勝)延宝6年の検地帳によると,耕作地は47町5反余で,水田はなく,62名が名請している「田園簿」の村高は333石余ですべて畑であった「天保郷帳」の村高は389石余「旧高旧領」の村高は386石余,松村忠四郎支配所であった化政期の状況は,多摩川から分水を引いており,本村の北に持添新田があった家数は60軒で,甲州街道に沿って並んでいた耕作のほか,少し養蚕が行われていた鎮守は富士浅間社,例祭は9月9日(新編武蔵)明治4年神奈川県,同11年からは北多摩郡に所属同13年府中3町(本町【ほんまち】・番場宿・新宿【しんしゆく】)・八幡宿とともに合併して府中駅ができ,同駅内の字高倉・雨久保【あめくぼ】となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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