八幡町(近世〜近代)


江戸期~現在の町名雑太【さわた】郡のうち佐渡ケ島中央部,真野湾に注ぐ国府川右岸町名の初見は寛永20年(岩木文庫文書)寛永年間に小木街道が開かれると上八幡村から独立幕府領高は,元禄7年検地帳,「天保郷帳」ともに38石余元禄7年検地帳では畑3町余・砂畑6反余・屋敷1町余,秣場1・廟所1「巡村記」では,天保12年の家数65・人数287,高38石余,田3畝・畑5町余,取米6石余当町は,指物師・鍛冶・下駄挽などの職人町として発展特に桐箪笥は八幡箪笥として著名「佐渡四民風俗」には,宝暦年間の農間稼ぎとして男の桐の木細工をあげている明治5年の戸数80うち指物師14・鍛冶11・下駄挽11など「佐渡全州地誌摘要」では同15年の戸数85・人口360同22年八幡村,昭和29年からは佐和田町に所属桐箪笥・下駄などの家内工業は,昭和30年代を過ぎると次第にその姿を消した世帯数・人口は昭和25年99・186,同59年141・413昭和50年代以降宅地化が進んでいる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7316065 |