大門町(近世)


江戸期~明治7年の町名江戸期は府中町,明治2年からは武生【たけふ】町の1町北陸街道沿い本町から東へ入る町で,馬場通を横切って帆山寺の門前を通り,帆山の渡しへ出る当町の中程から南へ進むと南小路町へ,北へは天王町へ続くまた東寄りの所から松原通りへ抜ける池ノ辻子があり,共同井戸(堀抜)があった町名は府中の入り口を意味すると考えられ,中世の文書に府中大門道場時衆(西福寺文書)の文字が見える家数は寛永2年31(浅井家文書),安永3年39(前田家文書)嘉永4年の町中家別に本家37軒・地借14軒庄屋共,歩行1とある(南条郡誌)道路の中央に用水溝(大平用水)があり,本町の用水から天王町・松原を経て,府中館へ入る天保11年河原町の天王社が大門町の裏へ移転なお同社の寛延2年銘の鳥居に大門町と見える明治7年の戸数52(南条郡誌)同年橘町の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7332255 |


