八幡町(近世〜近代)


江戸期~現在の町名西洞院通五条上ルの町寛永14年洛中絵図にすでに見えるが,「八まん町」とも称した(寛文12年洛中洛外大図)町名の由来は,江戸期に八幡宮の祠が鎮座したことによる同宮は天明8年の大火で焼失したのち廃されたと伝える(坊目誌)江戸期は川西九町組の永倉組,明治2年の町組改正より下京【しもぎよう】13番組,同5年第17区と改称,同25年第17学区に編成明治12年下京区八幡町,同22年京都市下京区八幡町となり現在に至る同36年西洞院通の中央を流れる西洞院川を暗渠とし(坊目誌),同38年京都電気鉄道が開通京都駅~北野間を結ぶ幹線として大正7年市電に合併市電北野線としてながく市民に親しまれたが,昭和36年廃止人口増減率(昭和40~50年)14.1%減

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7380714 |