宇土翳村(近世)


江戸期の村名肥前国松浦郡のうち烏渡馬伏とも書く志佐川中流に位置し,その支流の笛吹川が流れる地名の由来は,古代に藤原広嗣が反乱に敗れて済州島に逃げる途中,その乗馬が伏して進まず,船に乗っても逆風でなかなか進まないので,広嗣が駅鈴を馬に投じて住吉神に祈ると,住吉神の使神の烏が帆柱にとまり船が進むようになったと伝え,馬が伏し烏によって海を渡ったので烏渡馬伏というようになったという(松浦市史)平戸藩領志佐筋に属す「慶長9年惣目録」には当村名が見えず,江戸初期には志佐村の一部であったが,「元禄12年郷村帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」では志佐村とは別に当村名が見え,江戸前期に志佐村から分村して成立したと考えられる「元禄12年郷村帳」では志佐村枝村と注記されている村高は,「元禄12年郷村帳」151石余,「天保郷帳」224石余「旧高旧領」には当村名が見えず,横辺田村1,959石余のうちに含まれているとみられ,幕末・維新期までに横辺田村のうちに含まれることになったのち笛吹免の一部となり,現在の松浦市笛吹免字烏渡馬伏にあたる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7447490 |


