八幡町?(近世)


江戸期の町名大村城下の1町八幡丁とも書く「大村郷村記」によれば,田町筋のうちで,地名は地内に八幡宮があったことに由来し,また地内の入口に恵美須の石像があったことから恵美須町とも称したまた町並みは,本町の方入口から田町の方出口までの長さ1町16間1尺9寸,幅は入口1間4尺4寸,出口2間3尺6寸で,「本町陸手に所有の通にて,田町に通る横丁なり」と記され,竈数21寛永末年に往還道の起点がのちの札の丁から当町に移ると制札場が設けられ,万治元年さらに往還道が諫早【いさはや】町に移ると制札場も廃止された元禄16年制札場が札ノ丁に固定されると,当町は旧制札場の所在地として旧札の辻とも称された(大村郷村記)廃藩置県にともなって大村町の一部となった明治7年の資料には当町名が見えず,大村町のうち田町の一部に含まれると思われる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7449078 |