藤助河岸
【とうすけがし】

埼玉郡蒲生(がもう)村(現越谷(こしがや)市)にあった綾瀬(あやせ)川の河岸場。河岸問屋の主が代々藤助と称したので藤助河岸と呼ばれたという。明治7年の船積問屋調べによると,寛保3年に河岸問屋が創設されたことがわかる(県行政文書勧業部)。年貢米をはじめ,各種の商品作物の輸送に利用された。明治初年の「郡村誌」によれば,似艜船10艘・川下小船19艘などが備えられ,頻繁に江戸と往復していた様子がうかがえる。同16年の河岸場坪数は45坪(県行政文書土木部)。明治中期以降も日光街道沿いという地の利をいかし活況を呈した。大正2年には,資本金5万円の武陽水陸運輸会社が設立され,越谷町はもちろん岩槻(いわつき)町(岩槻市)や粕壁(かすかべ)町(春日部市)の物資を東京に送っていた。しかし同9年の東武鉄道越谷駅新設によって輸送量は激減していった(越谷市史)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7050555 |