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庄川村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。牟婁【むろ】郡のうち。和歌山藩田辺領。村高は,慶長検地高目録では273石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに286石余。御高並村名帳によると富田組に属し,村高286石余うち新田高13石余(南紀徳川史10)。「続風土記」によれば,「社川村」と見え,家数77軒・人数255,小名に社川口・五段切などがある。熊野街道(大辺路【おおへち】)から庄川の流れに沿って入った谷あいに展開する水田地帯である。庄川をさかのぼった牛屋谷の小滝に,旱魃の時,牛の生首をつけて雨乞をする民俗風習があり,嘉永5年の大旱魃の際にも行われた。寺院には臨済宗護国山最勝寺がある。明治4年田辺県を経て和歌山県に所属。同6年には戸数76,男194・女174。同年当村域に所在する山林に地券が交付されたことに端を発し,同13年同山林の入会権を求めた訴訟が保呂・平・内ノ川3か村によって起こされ,一審勝訴後明治16年平村との間に和解が成立,翌17年には大阪控訴裁判所の勧告により保呂・内ノ川両村とも和解した。明治12年西牟婁郡に属し,同22年北富田村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7404933