藤蕪村
【ふじかぶむら】

旧国名:陸奥,出羽,出羽
(中世~近世)戦国期から見える村名。はじめ陸奥国比内(ひない)郡のうち。のち秋田氏領となり出羽国秋田郡内に含まれる。天正19年正月17日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した秋田郡内の村として,「藤かふ村・屋ち中村」172石余と記載(秋田家文書)。「慶長6年秋田家分限帳」では,当村27石余は秋田家蔵入地に指定,代官所支配となる。27石余が当村の認定石高と推定される。小猿部(おさるべ)川と小森川の合流地点東方に位置し,地域の大半は東方の陣場岱(じんばたい)・石倉森から続く台地。縄文晩期の竪穴式住居群や数々の遺物出土で知られる藤株遺跡がある。近世秋田藩政下では,秋田郡北比内小猿部の寄郷脇神(わきがみ)村の枝郷藤蕪村として村名を継承。慶安~天和年中に,大館給人羽生・山田・下遠氏らが当村内に12石余の給分を知行。「享保郡邑記」では「藤加毛村」23軒と記載。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7022747 |