上大久和町
【かみおおくわちょう】

旧国名:美濃
(近世~近代)江戸期~現在の町名。明治42年まで岐阜を冠称。上大桑町とも称した。江戸期は美濃国厚見(あつみ)郡岐阜町のうち。町名の由来は斎藤道三が城下町建設にあたり,旧城下の山県郡大桑から町人を移住させたことによるという(岐阜市史)。金華山七曲り道より元浜町の美登里橋に通じる市街路のほぼ中央にあり,東は名古屋街道が南北に走る。宿屋や商店が並んでいた。寛政期の家数37(増補岐阜志略)。明治22年岐阜市に所属。昭和5年の戸数35・人口183,同40年の世帯数48・人口180。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7105489 |