高柳新田
【たかやなぎしんでん】

旧国名:美濃
(近世)江戸期~明治8年の村名。当町の東端に位置する。美濃国石津郡のうち。幕府領笠松代官所支配地。寛文10年に開発された新田。村高は「天保郷帳」373石余。低湿な地域であるためたびたび水腐となり,その上過重の堤防普請の責任を負い,数多くの悪水落圦の普請に迫られるなど水への対策に苦しんだ。明治2年差出明細帳によれば,田34町6反余・畑2町7反余,残らず水損所。戸数27軒・人口133。池川の運上として永800文を上納。悪水圦御普請所1か所・御普請所伊尾川通堤1,019間と自普請所津屋川請中堤243間に囲まれた高柳輪中を作っていた。悪水吐内小堤856間3尺・外小堤660間を有し,低湿であるため高3尺・馬踏3~4尺,敷6~10尺の作場道が延べ1,190間もあり,自普請場である。神社1社。笠松へ6里。明治4年岐阜県に所属。同8年安八(あんぱち)郡大牧村,石津郡高柳古新田・小坪新田と合併し多芸郡大巻村となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7106972 |