袈裟尾
【けさお】

旧国名:肥後
蛇行する菊池川支流迫間(はざま)川の右岸に位置する。地名は地内の袈裟尾山北福寺にちなむといわれ,弘仁年間に伝教大師が当地に来て袈裟をさずかったとする伝承があり,「肥後国誌」には「紫色ノ袈裟黄金ノ錫杖空中ヨリ大師ノ側ノ松ノ枝ニカカル,其松ヲ釈氏松ト称ス,此奇瑞ヲ以テ袈裟山永福寺ト号ス」とある。地内の丘陵上には高塚・丸山・茶臼山の各古墳および堀切横穴群がある。なお文亀元年7月7日の城重岑寄進状(万福院文書/肥後国誌)には「十九日於袈裟尾原,自廿日未明及曁晡時合戦」とある。
【袈裟尾村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【袈裟尾(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7225051 |