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鶴見里村(近世)


江戸期~明治9年の村名津軽郡田舎庄のうち津軽平野北部,岩木川下流左岸の平坦地に位置する弘前藩領高橋家由緒書によれば,当村は元禄2年高橋太左衛門によって新村に取立てられたという(西津軽郡史)享保12年に広須新田川通り32か村のうちの1村として見え,村位は下,免合は五ツ成とある(平山日記)村高は,元文2年検地帳59石余(田56石余・畑屋敷3石余),「天保郷帳」120石余(うち弘前本では文化9年改出新田69石余・文政2年改出新田50石余),「旧高旧領」127石余元文2年の検地帳によれば,反別は田8町7反余・畑屋敷1町5反余,このほかに開発可能地(田畑)4町1反余が見える神社は,享保4年の創立という八幡宮がある(安政2年神社書上帳)なお,同社の歓請は享保5年ともいわれ(西津軽郡史),のち明治初年の一時期,穂積村闇?神社に合祀される(国誌)明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治9年穂積村の一部となる

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7251604