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新築地(近世〜近代)


江戸期~昭和41年の町名江戸期は盛岡城下の武家屋敷地の1つ古くは材木町片裏側丁といい,文化10年新築地と改められたまた,もとは新土手と称していたともいう(盛岡砂子)城西地区に属し,北上川左岸に位置する地名の由来は,新しく築かれた地の意による町の規模は6町程(同前)江戸初期,北上川本流が当地付近から盛岡城の西壁に激突するように流れて,洪水のたびに城も城下も被害を受けていたため,川筋を西に変える工事を行い,土手を築いて従来の川を堰止めたので新土手と称されていた工事は禄高によって普請人夫を割当て,1,000石につき人夫8人,モッコ5,天秤5丁,カチャビ1丁であった普請奉行は野々村宇右衛門・松尾吉右衛門,添奉行は広瀬庄太夫・本館甚右衛門で,延宝3年に完成した(内史略)明治8年の戸数22(盛岡市史)明治4年仁王村の字名,同22年盛岡市仁王の字名,昭和20年からは盛岡市の町名となる明治23年の日本鉄道(現国鉄東北本線)盛岡駅開業に伴い駅と市街を結ぶ開運橋が北上川に架けられ,以来市の玄関口的位置となって発展昭和26年の世帯数195・人口849(男407・女442)一部が同38年大沢川原3丁目,同39年材木町となり,残余が同41年開運橋通・大通3丁目となる

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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7253993