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大町(中世〜近代)


室町期~現在の町名出羽国山本郡(寛文4年まで檜山【ひやま】郡)能代湊【のしろみなと】のうち江戸期は秋田藩領町名の由来は町立て期に他町内より大きい町内という意か町立ては「聞見録」で,「建年不知疑らくは弘治年中ならん」とある戸数は「享保郡邑記」で67軒借家数は寛延3年10軒元禄7年地震により,大町はすべて焼失宝永元年地震で町通りの両側が全半壊したが,出火はなかった(聞見録)享保7年絵図で上町【かんまち】通りへ東接,下川反【しもかわばた】町通りへ西接享保13年絵図で西に新町の名が見える通りの両側に町屋の記載が多い寛保3年大火で全焼延享元年,大町より後【うしろ】町へ中山小路が成立稲荷町移転に伴い,短屋敷が解消北側裏地の川原に木苗植付場ができる「町役勤方上ノ町」の記事がある(能代改正旧記)寛延3年,町内表間口総丈数173丈余,町役出銭234貫文余除屋敷は吉田弥治右衛門をはじめ村井・金沢・柳谷兵九郎・宇野・吉岡・清水九左衛門・増谷・柳谷兵助・大淵・清水善兵衛・金谷など能代奉行御下代の屋敷が多い他に医者早川寿軒・副井玄策,町代伝兵衛などの屋敷があるこの年の大町町代は工藤伝吉,年長は宮腰屋惣右衛門・柳谷伊左衛門・工藤吉兵衛(能代惣町本図帳)文化11年,町代は善五郎町内には廻船問屋が軒を連ねていた安政2年,町内に小玉五兵衛・小玉市右衛門・谷内孫左衛門・清水九兵衛の廻船問屋がある(東講商人鑑)鎮守山王社祭礼には丁山三番叟を出す明治22年からは能代港町,昭和15年からは能代市の町名となる

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7258552