野田村(中世〜近世)


戦国期から見える村名出羽国豊島郡(寛文4年から河辺【かわべ】郡)のうち西流する岩見川中流域,現在の戸島野田【のだ】付近に比定される天正19年正月吉日豊臣秀吉が秋田実季の当知行を安堵した朱印状写に,諸井村と併記して「野田村」189石余とあるのが初見(秋田家文書)中世後期を通じ豊島氏領であったが,天正期に入り安東氏に包摂される同末年になって太閤蔵入地に指定されたが,実質は秋田実季の支配(同前)御物成納口は高189石余(諸井村を含む)に対し,慶長2年35石,同3~5年30石,同6年17石(同前)豊島・岩見を貫く街道沿いに立地近世,秋田藩政下では野田高屋【のだこうや】村として改編される

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7260575 |



