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幸野村(近世)


江戸期~明治8年の村名荒野とも書く会津地方東部,猪苗代盆地東縁部に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは月輪荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し,観音寺とあり412石余,享保3年644石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では646石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに627石余もとは北東16町川桁山の麓本寺という場所にあり,高野村と称したが,康暦年間頃から寺の名により観音寺村と称した天正年間の初めに火災に遭って当地に移り,寛文年間に荒野と改めたという(新編会津)享保3年の家数78軒・人数310,馬38,文化3年の家数35軒・人数140,馬32(小林家文書)化政期の家数37軒(新編会津)鎮守は清神社肝煎は小檜山家慶応4年の産物は蕎麦(猪苗代郷土誌稿)寺院は曹洞宗慈応山観音寺猪苗代初代城主三浦大炊助経連が初めて猪苗代に来た時川桁山に一宇を建て,背負って来た観音像を安置したのが始まりで,文禄年間に当地に移った東部の山中に本寺跡が古蹟として残され,近くに経塚も伝わっている(新編会津)境内には応永18年銘の宝篋印塔がある本尊の聖観音坐像は猪苗代三十三観音第1番の札所である近くの観音寺川両岸を中心とした観音寺公園は桜の名所で,猪苗代八景観音寺夜雨の一つに数えられている明治元年10月村役人排斥の一揆で休役となった旧肝煎は,12月に民政役所へ帰役願を提出した(小林家文書)明治8年曲淵村・新屋敷村と合併して川桁村となる

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7267479