茂沢新田村(近世)


江戸期の村名常陸国茨城郡のうち千波湖の南,逆川流域に位置するもとは吉田村のうちで,茂左衛門が開発して茂左衛門新田と称し,寛文末年茂沢新田と改称(水府志料),元禄年間までに分村水戸藩領村高は,「元禄郷帳」では古くは茂左衛門新田とあり42石余,「天保郷帳」87石余「水府地理温故録」では吉田村分郷とあり,村高87石余で年貢率は田2割4分・畑3割1分,家数22,3・人数100有余,馬15,6,鎮守は三拾番神「水府志料」によれば,浜田組に属し,戸数22,村の規模は東西約5町・南北15町余農作物に大根・独活・楮など農間には薪商い(水戸市史)天保年間吉沢村の一部となる(新編常陸)

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7276990 |



