材木町?(近世〜近代)


江戸期~現在の町名明治5~22年までは静岡を冠称江戸期は駿府城下96か町の1つ明治22年からは静岡市の町名なお「駿河記」では片羽町とともに当町を城下の町並みに含めていない駿府城の西に位置する町名は慶長年間,浅間神社建立の際河原に積み置かれた余りの材木を売買するよう命ぜられたことによる(駿国雑志)「駿河国新風土記」によれば当町は安西井宮村のうちで,延宝年間は井宮町と呼ばれたという地内には安倍山中から切り出す材木の10分の1を運上させ保管する材木屋敷は安西5丁目の下十分の一蔵に対して上十分の一蔵と称されたが,徳川家康在城の頃安倍川の流路変更により井宮町に移された(町名の由来)貞享3年の家数は本家34・借家3(府内時之鐘鋳直申ニ付入用集銭帳)元禄5年の家数36(うち明屋敷1・丁頭屋敷1),人数245,馬4,丁頭は五左衛門(元禄5年申2月駿府町数并家数人数覚帳)元禄年間創設の駿府定火消では出人足は浅間神社詰16人,文政4年創設の町方百人組合火消では府中4組のうち北組に所属(旧版静岡市史)安永元年正月地内からの出火で浅間神社が焼失し名古屋社のみが残る(駿国雑志)文政11年6月妙見下薩摩土堤の欠損により当町と片羽町・井宮町一帯が本流となり駿府城が危うくなったため浅間神社の大木を切って水を防いだまた安政2年の水害の被害は甚大であった(安倍川とくらし)地内には5石びきの水車小屋が2つある(駿国雑志)大正4年の戸数94・人口419昭和25年の世帯69・人口330昭和47年大字井宮の一部を編入

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7350058 |



