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曽根崎新地(近世〜近代)


江戸期~現在の町名江戸期は大坂三郷天満組のうちはじめ1~3丁目,昭和53年からは1~2丁目がある宝永5年蜆川沿いの西成【にしなり】郡曽根崎村地内を開発して成立1丁目は堂島橋北詰から西,2丁目は曽根崎橋少し西から,3丁目は桜橋から緑橋までの町(宝暦町鑑)家役は本宅の場合,屋敷の広狭にかかわらず1屋敷1軒役,浜屋敷は40坪以上半役,同以下2分5厘役とされ,斗代は1反に付2石の計算地代金は新町屋家数51軒分が4,003両と2匁余,浜先屋敷数37軒分が386両と5匁余,片町新屋敷家数26軒分が760両,計金5,149両余と銀8匁余(藤井善八覚書/大阪市史5)新地にはその繁栄策として茶屋株・風呂屋株・湯屋株・旅籠屋株や芝居興行などが許可されるが,当地もそれらの許可をうけ,堂島一帯が商業地帯と化すにおよび同地の青楼なども引き移り,当地は隆盛をむかえた京都の都踊りをまねた浪花踊りは明治15年開催といわれるが,大火や第2次大戦などで演舞場が焼失し中断されたしかし,戦後昭和29年から再び開催されている昭和48年堂島児童遊園地が当町に開園した明治2年大阪北大組,同12年北区,同22年からは大阪市北区の町名同44年堂島船大工町・堂島裏1~3丁目の各一部を編入昭和19年一部が真砂町・絹笠町・堂島西町となる同53年一部が西天満1~6丁目・梅田1~3丁目となり,堂島上1~3丁目・堂島西町・永楽町の各一部を編入

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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7384086