安養寺屋敷(近世)


江戸期~明治7年の町名江戸期は和歌山城下湊のうちの町人町和歌山城の北西部,道場町の南部に接して位置し,和田浦鵜ノ島(和歌山市内松江付近)から明応年間移転した時宗小野山安養寺があり,境内の町家を安養寺屋敷とも寺家とも称した(紀藩街官司秘鑑/県史近世1)寛永3年町奉行支配下に編入され成立地子は安養寺へ納入し,町入用は間打の橋御普請入用と棟役の惣代給のみを負担した安養寺前の坂道は鵜の首坂と呼ばれたが,これはこの坂辺りに住んでいた勝手方役人の鵜の首をしめるような人の遣い方に由来すると伝える(若山古事談・紀街のながめ)安養寺境内には雄天神社があり(続風土記・享保城下町図),山伏万福院がその東に続く(寛政城下町図)明治6年には戸数110,男167・女158同7年道場町の一部となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7403215 |



