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中富手永(近世)


江戸期の熊本藩の手永名玉名郡のうち寛永12年の地撫帳(県立図書館蔵文書)に「中富勝右衛門手永」と見え,はじめは地名を名字とする惣庄屋名で呼ばれていた当初の管轄地は上分田・中分田・中富の3か村を含む地域であったが,「肥集録」には米野・下米野・堂米野・岩原・江原(郷原)・古閑原・持松・牟田・下千田・上千田・広・上広・下原・宮・久野・小柳・下分田・中分田・分田・川崎・中富・正勧寺(正観寺)・上中富・袋田・下梶屋(下鍛冶屋)・上梶屋・小島・藤井の28か村が記されている(肥後国地誌集)「肥後国誌」でも同じ村名が見えるが,江戸後期の諸郡村附帳(圭室家文書)では,上分田・下原村が見え,小柳村が上・中・下の3か村となり,上中富村が見えない総高は,「肥後国誌」で1万4,500石余会所は宮村に置かれた惣庄屋は,宝暦年間頃まで中富を名乗る隈部・愛甲両氏による世襲がほとんどを占め,その後,安永年間の新野尾氏2代のほかは,免役・所替えによる一代限りの交替勤務であった(肥後読史総覧)明治3年に廃止現在の山鹿市南東端・鹿本町南部および鹿央町の北半にあたる地域

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7453146