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竹原田(中世)


鎌倉期から見える地名薩摩国入来【いりき】院のうち元亨2年3月13日入来院内清敷北方水田検注帳に「一,竹原田分……以上丁七反三十」とあり(入来文書),現在の入来町浦之名字竹原田に比定される入来川の本流前川内川の最下流左岸の水田地帯で,現在同地区内に10戸ばかりの農家があり,「たこいだ」と呼ばれているしかし,第2次大戦後の土地整備事業完了後は同地の西隣小字名池頭が同地から下流地区一帯の広域水田地帯の代表的地名となり,竹原田地名は土地台帳上の地名にすぎなくなったようである元亨検田時の竹原分在家の田積は1町7反40代であるが,地頭入来院渋谷氏の治政上,竹原田地区は次第に家臣団の居住地となしたために,戦国中期には武家団地として大分にぎわい,13代領主入来院重嗣は同地区に私寺定観寺を創建し,その室老家種田氏は同寺近くに私寺円通庵を建てたその他同地内には仏寺来福寺の薬師堂があって郷民の崇敬厚く,この薬師堂のみは明治元年の排仏毀釈時まで存続したのであった前記の定観寺・円通庵の名称は明治初期に小字名に採用されて現在に至っている

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7462501