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![]() | 東大味[中部地方] |
広野山北東麓城山の北西麓に位置する。中世後期には朝倉街道が東西方向に通り,一乗谷の鹿俣(かなまた)へ初坂を越えて入る大手筋であった。初坂のふもとを茶屋出と呼ぶが,当時は遊女町があった(越藩拾遺録)。中世城館跡としては,深見町との間の尾根に東大味城がある。また「城蹟考」に,「屋敷跡 三ケ所 朝倉家中島但馬 明智日向守 今井新兵衛 東大味村之内四十四間三十六間計之所 二十弐間四方之所 十六間二十二間計之所有 自福井三里計」とある。中島但馬の屋敷跡は,集落の東の字土居之内に,明智光秀の屋敷跡は集落の南東部,今井新兵衛の屋敷跡は同北部に比定される(福井県の中・近世城館跡)。光秀を祀る小堂が明治19年に建てられた。寺院跡として西本願寺派法勝寺跡がある。八幡神社の木造阿弥陀如来座像,西蓮寺の柴田勝家判物・柴田勝定判物・蜂須賀正吉安堵状は市文化財。
【東大味村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【東大味(近代)】 明治22年〜昭和46年の大字名。
【東大味町(近代)】 昭和46年〜現在の福井市の町名。
