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![]() | 横倉[中部地方] |
大日山南麓,野津又川流域の山間に位置する。「名蹟考」には「絵図記」よりの引用として大日峠には「大日堂迹泰澄護摩堂迹アリ」とし,また,「往昔泰澄豊原ヨリ白山禅定之道筋」であるとして,「竹田 岩屋 鈴巌寺 大日峠 しんの宿 中野俣 牛ケ首谷 堂ノ原太田ノ中山 明谷ノ上 一之宿 是ヨリ峰マテ人路ナリ,大日峠ヨリ上へ忌物 油 傘 合羽 糊 耳不切呉座 丸馬 尸 右七色ハ古来故有テ不通」と見える。野津又への一向宗布教が15世紀末加賀からこの地を経て行われたと伝える。地内に名勝八反滝がある。村名は,天正〜文禄年間頃と推定される少弐法眼頼賑の横倉村太郎兵衛宛書状(法勝寺文書)に初見。慶長3年の検地帳(山岸弥右衛門文書/勝山市史資料篇)によると,検地面積は田3町8反余・畠8反7畝余の計4町6反8畝5歩,村高68石で,名請人は8名であった。
【横倉村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【横倉(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
