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![]() | 忌部[近畿地方] |
曽我川中流域に位置する。忌部氏の本貫地と伝承される。忌部の氏名は,大和王権の神事に携わり,かつ祭祀に必要な物資を貢納した忌部の伴造氏族であったことに基づく。延暦22年3月本宗の忌部氏は忌部を斎部に改めており(日本逸史延暦22年3月乙丑条),「姓氏録」右京神別上には「斎部宿禰。高皇産霊尊の子,天太玉命の後なり」とある。忌部氏の旧姓は首で,のちに連となる(天武紀9年正月甲申条・同13年12月己卯条)。忌部氏の一族には忌部首子麻呂(孝徳紀大化元年7月庚辰条),斎部首作賀斯(古語拾遺),忌部首子人(天武紀元年7月壬申条),忌部首色弗(天武紀9年正月甲申条),忌部宿禰狛麻呂(続紀大宝2年3月戊寅条)などが見える。平安期に入ると中臣氏との勢力争いのなかで斎部広成が氏文として「古語拾遺」を著し,当氏が朝廷祭祀を担当することの正当性を主張した。忌部氏は太玉命の後裔と伝承され(古事記天孫降臨段,神代紀上・神代紀下,古語拾遺など),高市郡式内社太玉命神社は忌部町字一ノ宮に比定されている(大和志)。同社は貞観元年正月に従五位下から従五位上に神階が昇叙され(三代実録貞観元年正月27日条),貞観10年6月28日太政官符によると飛鳥神の4裔神の1つとある(三代格1)。
【忌部(中世)】 鎌倉期から見える地名。
【忌部村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【忌部(近代)】 明治22年〜昭和31年の大字名。
【忌部町(近代)】 昭和31年〜現在の橿原市の町名。
