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久米[中部地方]
角川日本地名大辞典

天竜川中流右岸,三穂丘陵の二ツ山南東麓に位置する。南寄りを久米川が東に流れる。地名の由来は,古代氏族大伴氏のうち久米部氏らが延暦年間に移り住んだためと考えられる。二ッ山の山麓,馬場平・矢代・中尾から縄文・弥生時代の石斧・須恵器などが出土,馬場・塚本・宮下に古墳がある。城山は,久米に住み氏とした小笠原系の古米入道古米将監が居て,久米ケ城といったと伝える(山本村誌)。二ッ山南麓の光明寺洞にある真言宗光明寺は,養老年間の開基と伝え,光明皇后が懐妊したとき安産を勅願したことから寺号としたと伝える。薬師如来像の胎内墨書銘に「奉造立 保延六年〈庚口〉三月三日」とあり,背面には「僧勝覚」という墨書もある。和歌山県東牟婁郡那智町飛滝神社出土の保元元年9月8日の年紀を有する銅製経筒銘に「信濃国伊那郡伊賀覧御庄中村郷光明寺」とある(下伊那史)。永禄5年9月16日の小笠原信嶺感状案によれば,「今度坂西永(長)忠事,北方村山村依恣掠攻囲之処」とあり,飯田城主坂西長忠が松尾城主小笠原信嶺の所領を侵した際,信嶺の家臣清水但馬入道が先蜂としてこれを討ったのに対し,信嶺は「久米ニ而拾貫文」など30貫文を宛行った(清水文書/信史12)。この文書は検討の余地があるという。
久米村(近世)】 江戸期〜明治8年の村名。
久米村(近代)】 明治14〜22年の村名。
久米(近代)】 明治22年〜現在の大字名。